物語は真夜中から夜明けが一番好きです。
習慣にしようとしていること、がございます。
少しでも文章を書くことです。
昨日、そもそもプロットをある程度打ち込んで挫折してしまいました。
せめてブログだけでも毎日更新をがんばっています。
本を読んでいましたら、起承転結の「転」さえ思いついたらその物語は書くことが可能と書いてありました。
なるほど、私はプロット組むとき、起から書いています。
創作友達は、物語の伏線を張り仕掛けるのが大好きですが、どうやって読み手をだまそうかばかり考えて内容を考えるそうです。
とても、正しい書き方だと思いました。
私の創作スタイルはもやもやを吐き出してしまいたいというものです。
心のうちをキャラに代弁させております。
つまり、悩みを描いているわけですが、それが解消される「転」を思いつかないことにはどん詰まりになるのが目に見えています。
現実世界で悩ましいことを物語で紡ぐ。
そこに解決策を見出せないまま。
で、悩みに真正面から向き合うのがしんどくなってきてプロットの段階で飽きてしまうんですね。
自己分析してみました。
違うかもしれませんが、なぜ若い頃と違って書けなくなったのか考えていました。
大人になって希望を見出せなくなっているんだと思います。
物語は「希望」を描かなくてはいけません。
バッドエンドだとしても、終わりにはかすかな希望があるはずです。
読者が望んだ希望ではないのかもしれませんが。
私の物語のイメージはいつだって真夜中から夜明けでした。
最初、暗くても抜けるような空を描きたいと我慢して描きます。
とても快感ではありますよ。
ところが、今は我慢したくない。
そして、こんなうまくいくはずがないと、物語にケチをつけてしまいます。
学生のころより悩みは少ないのに。
悩みが少ないのに、絶望している。
単に寝不足か疲れているのかもしれません。
描き方を変えるべきですね。
自分とは切り離して描く。
または、ゆるやかな曲線で描く。
だから、スローライフや優しい話がはやっているのでしょうか。
人々は皆、疲れているのかもしれません。